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「楊貴妃」の舞台展開

​ここでは「楊貴妃」を6つの場面に分け紹介します。

写真 平成11年 研究会 シテ武田尚浩

​撮影 前島吉裕

1、唐の方士(ワキ)の登場
 囃子方、地謡方が着座すると、舞台正面後方に宮の作り物が出される。
唐の玄宗皇帝に仕える方士が登場する。楊貴妃が亡くなった後、皇帝はひどく悲しみ、楊貴妃の魂の在りかを見つけよとの命を方士に下した。方士は天界や黄泉の国を回ったが楊貴妃の魂を見つけることができなかったため、これから仙界の蓬莱宮へと向かう旨を語る。

2、所の者(アイ)の登場
 蓬莱宮に着いた方士は所の者に楊貴妃の居場所を尋ねると、太真殿いると教えられたので、太真殿へと向かう。

3、楊貴妃の登場
 すると宮の中より玄宗皇帝と過ごした日々を思い出し、一人悲しみに暮れる楊貴妃が現れる。方士は玉すだれより楊貴妃の大変美しい姿を垣間見る。

4、楊貴妃は玄宗皇帝との昔を語る
 方士は玄宗皇帝の命でここに来たと語り、楊貴妃に会ったことの証拠に何か形見の品を願う。すると楊貴妃は簪を方士に授ける。簪であればこの世にいくつもあるので、玄宗皇帝と二人でかわした約束はないかと尋ねる。すると、楊貴妃はある七夕の夜に織姫と彦星の二つの星に誓った言葉を教える。「天にあらば願わくは比翼の鳥とならん。地にあらば願わくは連理の枝とならん」
 このような約束をしたにもかかわらず、楊貴妃は死後、仙界に登ってしまった。比翼の鳥は友を求め、連理の枝は朽ちて色が変わってしまった。けれども、皇帝のお心が昔と変わらぬのならば、再びあえる時を心待ちにしていると涙ながらに語った。

5、楊貴妃は舞を舞う
 方士は簪を受け取り、現世に帰ろうとするが楊貴妃はこれを留め、昔玄宗皇帝との昔を思い出し、玄宗皇帝が楊貴妃に贈ったと言われる、霓裳羽衣の曲の舞を舞い始める。

6、方士は現世に帰る
 舞を舞い終えると、楊貴妃は形見の簪を方士に渡す。方士は受け取り、現世へと帰る。楊貴妃はもう二度と現世では玄宗皇帝に会えないと、一人寂しく宮の中に帰って行く。

●ひとこと解説

世界三大美人の一人、楊貴妃を扱った演目です。楊貴妃と玄宗皇帝の大恋愛は白居易(白楽天)の長恨歌に書かれたもので、これを原典として作られた作品がこの楊貴妃です。
楊貴妃はもともと玄宗の息子の妃として入内しますが、玄宗に見初められ、彼の妃となります。貴妃とは皇帝の妃の位の一つで、楊家の娘であったので、楊貴妃と呼ばれました。本名は「玉環」と言われています。また、玄宗に入内する時に、息子の妃から直接入内するのではよくないとの事で、一度女官となり、その時に名前を太真と改めます。その為、楊太真とも呼ばれます。
その後、玄宗皇帝の寵愛によって彼女の一族が高位高官を独占し、唐の政治は大混乱となります。そこで安禄山が安史の乱を起こし、挙兵する。玄宗は楊貴妃と共に長安を離れたが、途中馬嵬(バガイ)の地で警護の兵士たちが唐の乱れの元凶は楊貴妃であるとして、楊貴妃の処刑を求めて反乱を起こした。玄宗は泣く泣く楊貴妃を処刑しました。安史の乱が収まったあと、玄宗は長安に帰り、軟禁状態で生活を送りますが、絵師に楊貴妃の絵をかかせ、ずっと眺めて暮らしたそうです。
傾国の美女として名高い彼女ですが、最近の研究では政治にはほとんど介入しておらず、玄宗が良かれと思って彼女の一族を高位高官に付けたとされています。また周囲の人々も楊貴妃に気に入られれば、必然的に玄宗にも気に入られるとの事で、次々に楊貴妃に取り入った結果、楊貴妃に国中の富が集中したといわれています。
一説によれば楊貴妃は玄宗皇帝の慈悲によって処刑を免れ、遣唐使として唐にいた阿倍仲麻呂の手引きによって日本へ逃れたとする伝説もあり、山口県の二尊院には楊貴妃のお墓があり、安産・縁結びに利益があると言われています。
また玄宗が楊貴妃の死後、彼女の姿をかたどって仏像を造らせたとの伝承もあり、その仏像は建長七年(1255)に湛海和尚によって日本にもたらされ、今は京都の泉涌寺に楊貴妃観音として安置されています。

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●クセ詞章
地謡「われもそのかみは。上界の諸仙たるが。往昔の因ありて。仮に人界に生まれ来て。楊家の深窓に養われ。未だ知る人なかりしに。君聞こし召されつつ。急ぎ召し出だし后宮に定め置き給ひ。偕老同穴の語らひも縁尽きぬればいたずらに。またこの島にただ一人。帰り来たりて住む水の。あはれはかなき身の露の。たまさかに逢い見たり。静かに語れ浮昔。
シテ「さるにても。思ひ出づれば恨みある。
地謡「その文月の七日の夜。君とかわせし睦言の比翼連理の言の葉もかれがれになる私語の。笹の一夜の契りだに名残は思ふ習ひなるに。ましてや年月慣れて程経る世の中に。さらぬ別れのなかりせば。千代も人には添ひてましよしそれとても遁れ得ぬ。会者定離ぞと聞くときは。逢ふこそ別れなりけれ。

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