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「鵺」の舞台展開

​ここでは「鵺」を6つの場面に分け紹介します。

写真 平成25年 観世会定期能 シテ武田尚浩

​撮影 前島吉裕

1、旅僧(ワキ)の登場

 常の通り囃子方、地謡が着座すると、熊野参詣を終えたワキが登場し、津の国芦屋の里に着き、日が暮れたため里人(アイ)に宿を請う。アイは旅人に宿を貸さない掟があると断る。ワキは毎夜光物がでるという御堂で一夜を明かすことになる。

2、うつほ舟に乗った不審な男(シテ)の登場

 異様な姿のシテがうつほ舟に乗って登場し、空舟に押し入れられて暗いあの世に沈む身の上を嘆く

3、ワキとの問答

 夜更けに忽然と現れた異形の者を不審に思ったワキはその名を尋ねると、シテは自分は源頼政に退治された鵺の亡心であると答え、跡を弔ってほしいと頼み、退治された時の有様を語り始める。近衛帝の頃、帝が毎夜毎夜具合が悪くなるので、公卿で詮議した結果、怪士の仕業であるとなり、源頼政に怪士退治の命が下った。頼政が弓を番えて待っていると黒雲が東三条からやってきて、御殿の上を覆った。この中に怪士を見つけた頼政は弓を放つと怪士に当たり、落ちたところを猪早太が刀でとどめを刺した。火を灯して見ると頭は猿・尾は蛇・足手は虎で鳴く声は鵺に似た獣であった。

4、シテの中入り

 語り終えたシテは棹を持ち舟に乗って、鵺の不気味な声をあげながら消え失せる。

5、アイの語り

 旅僧の安否を気遣ったアイが再び登場し、ワキの求めに応じて頼政の鵺退治の話を語る。

6、鵺の亡魂(後シテ)の登場

 ワキが鵺の霊を弔っていると、鵺の亡霊が御経の功徳に引かれて現れ、自らの最期を仕方話で語る。東三条から黒雲に乗り、御殿の上に飛び下がると、頼政の矢に当たり、落命してしまった。帝は歓びのあまりに獅子王という刀を頼政に与えようとする。ちょうどそこへ鶯が飛んできたので、大臣が戯れに歌を詠むと頼政が素早く秀逸な変化を添えたので、頼政は文武二道の兵と名をあげるが、その反対に鵺は汚名を流し、遺体は淀川に舟で流されてしまった。やがて山の端に月が入るように鵺の霊はいなくなってしまった。

​●ひとこと解説

 鵺(ぬえ)とは元来トラツグミという鳥の名前なのですが、その鳴き声に似た声を発する妖怪が平家物語に登場し、能「鵺」はその妖怪をシテにした演目になります。

 平家物語では次のように語られています。時の近衛天皇が原因不明の病に冒され、調べたところ妖怪の仕業と判明し、源頼政に退治の命令が下ります。頼政が武装を整えて待っていると、深夜、御殿の上に不審な黒い雲が漂っているのを見つけ、矢を放ちます。すると黒雲の中から得体の知れない生物が地上に落ち、頼政の配下である猪早太という武者が駆け寄り、刀でとどめを刺します。松明を近づけ正体を見てみると、頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇で、鳴き声が鵺に似ている妖怪でした。天皇は褒美に剣を頼政に下賜しますが、その時に側近の大臣が「ほととぎす なほも雲居に あぐるかな」と詠んだ上の句に、頼政はその場で「弓張月の 射るにまかせて」と下の句を付け、宮中の一同を感心させます。平家物語では頼政が武勇ばかりではなく、和歌の才にも秀でた人物であったと紹介されています。

 この平家物語の逸話を題材に、世阿弥が作曲したのがこの能「鵺」です。頼政の逸話を分割し、前場では鵺が退治された場面を舞い、語り、後場では頼政が御剣を賜り、和歌を詠んだ場面が舞い、語られます。

 前場の自らが退治されたところを仕方話で語る部分は、シテは前半中央に座ったままで、地謡によってその有様が語られますが、途中から扇を弓矢に見立てたり、松明に見立てたりしながら鵺の退治の有様を現します。この部分は地謡の聞かせどころであり、後半はあたかもそこに鵺がいるかのように見せるシテの所作の見せ所です

 後場ではシテの鵺が頼政になったり、鵺になったりと一人で双方の姿を演じながら、最期の有様を仕方話します。どちらがどちらなのかを見分けて、鑑賞していただくとより面白いかと思います。また、うつほ舟に乗せられて流される表現として「流れ足」という所作があり、本曲と『猩々』の「乱(みだれ)」という小書きにしかない大変珍しい所作です。爪先立ちの不安定な体勢のまま、横方向に進む為、進路が見えず、シテにとっては大変怖く難しい型ですが、見所の一つです。

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