「融」の舞台展開

​ここでは「融」を8つの場面に分け紹介します。

写真 平成18年 能尚会 シテ武田尚浩

​十三段之舞

​撮影 前島吉裕

1、僧の登場

 東国出身の僧(ワキ)が都を見物するため旅に出て、六条河原院に到着し、しばらく休むことにします。

 

2、汐汲みの老翁の登場

 汐汲みの老翁が登場し、中秋の名月を愛でる謡いを謡いながら、僧の前に現れます。

3、老翁と僧の会話

 僧はなぜ都の中で汐汲がいるのかと不審に思うと、老翁はこの六条河原院は左大臣源融が、陸奥の千賀の塩釜を移した場所であるので、汐汲がいるのは不審ではないと答えます。そして、折から顔を見せた名月を二人で愛で、「鳥は宿す池中の樹。僧は敲く月下の門」という中国賈島の漢詩を謡います。

 

4、老翁の語り

 僧の求めに応じて老翁は六条河原院が建てられた謂れを語り、融の存命中は多くの人足を使い難波の浦から毎日海水を運ばせ、舟を浮かべて遊んだが、主亡き今は荒廃し寂れてしまったと嘆き悲しみます。

5、僧が老翁に都の名所を尋ねる(名所教え)
 僧は嘆く老翁を慰め、また河原院から見える京都の名所を訪ねます。

6、老翁、興に乗じて汐を汲む 

 名所を教える内に、老翁は興に乗じて、田子を使い汐を汲み上げ、桶の中に映る月を僧に見せますが、そのうちにかき消すように老翁の姿は見えなくなります。

7、里人の登場
 
不審に思った僧は河原院近くの里人を呼び出し、融の大臣について尋ね、里人(間狂言)が改めて語ります。

 

8、融の幽霊の登場と遊舞
 里人の話を聞いて、先ほどの老翁が融の幽霊であると考えた僧は六条河原院で一夜を明かすことにし、まどろみます。すると、融の幽霊が在りし日の姿で登場し、杯を水に浮かべ、遊興の舞いを舞います。
しかし、その内に夜も白むと、未だ夜空に輝いていた美しい月へ吸い込まれるように消えて行きます。

​●ひとこと解説

 世阿弥作と思われるこの曲は、荒廃した六条河原院に現れた源融の霊が塩釜の景色を懐かしみ、そこでの月下に遊舞する演目です。源融は平安時代初期の公家で、嵯峨天皇の皇子でしたが、源氏姓を賜り臣籍降下した人物です。872年彼が50歳の時に、左大臣に任じられましたが、時代は丁度藤原摂関政治の頃で実権はほとんどなかったと考えられています。

融が陸奥の千賀の塩釜の風情を移し、六条河原院を建てたことは『古今和歌集』や『伊勢物語』に登場し、また『今昔物語集』には宇陀院の前に融の幽霊が登場するという説話もあり、その二つの融にまつわる伝説から能「融」は構想され作曲されたと考えられています。

 「融」はシテが登場して謡う一声・サシ・下歌・上歌と長丁場を謡い、ワキと問答し、シテの語り、続いて名所教えがあり、シテにとっては力量の問われる演目で、お客様にとっては全編見どころと言えるような演目です。また詞章も本当に美しい名曲です。

 ちなみに、文章の字句を何度も練り直すことを推敲(すいこう)と言いますが、これは融の曲中で引用される賈島の漢詩にまつわる故事から生まれた熟語です。賈島は最初この漢詩に際し、「僧は推す月下の門」の句を思いつきます。しかし、後に「僧は敲く(たたく)」の方が良いか迷い、親交のあった文章家である韓愈に尋ねて、「僧は敲く」という句に改めたそうです。その昔、室町時代には推敲の熟語が生まれるほど、馴染みある漢詩だったようです。「融」の中でこの漢詩を引用する場面は仲秋の名月がぽっかり浮かび、二人を照らす美しい情景になります。唐の昔にも思いを馳せながら、シテ・ワキが謡う漢詩に聞き入って頂ければ嬉しいです。

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