「老松」の舞台展開

​ここでは「老松」を5つの場面に分け紹介します。

写真 平成30年 朋之会 シテ武田尚浩

​撮影 前島吉裕

1、梅津の何某一行(ワキ・ワキツレ)の登場
 囃子方・地謡が着座すると梅津の何某が真ノ次第で登場し、自分は昔から北野天満宮へ参拝をしていたのだが、この度夢枕に天神様が現れ、自分を信じるのならば太宰府にある安楽寺に参拝するようにとの御告げを受けた為、これから九州に下向すると語り、一行は筑紫国安楽寺へと向かう。

2、老翁(前シテ)と若者(ツレ)の登場
 老翁と若者の二人の木守が真ノ一声で登場し、梅の花と松の緑を称え、春を喜びながら現れる。

3、梅津と老翁の問答
 梅津はこの二人に出会い、かの有名な飛び梅とはどの木であるか尋ねる。若者は当地では飛び梅の事を「紅梅殿」と呼び敬っていると答え、老人はその隣にある松の木は「老松」と言ってこれも神木として崇められていると教える。そして梅と松にまつわる中国の故事を語り始める。
 梅は晋の武帝の時代に文学が盛んになれば花の色も匂いも豊かになり、文学が廃れると花の色も匂いも無くなってしまうという故事から「好文木」と呼ばれるようになった。一方松は秦の時代、始皇帝が御狩りをしていた時に俄かに雨が降り始めたので、近くにあった小松の下に雨宿りすると、この松が大木となって枝を広げ、葉を生い茂らせて始皇帝が雨に濡れないように守ったという。これに感謝した始皇帝はこの松に「大夫」という称号を与えた事から松を大夫と呼ばれるようになった。
 このように語った老翁はこの梅も松も末社として天神様に仕えていますと言って、二人の木守は消える。

4、 里人(間狂言)の登場
 二人が消えた後、梅津の所に里人が現れ、再び梅と松の奇特を語る。

5、 老松の神(後シテ)の登場
 その夜に松の木陰で神の御告げを待っていると、老松の神が現れて、真の序の舞を舞い、君の行く末をいつまでも守り、長寿を約束して、この春を寿ぎ消える。

 

​●ひとこと解説

 年が新たまると、謡い初めという風習があります。舞台で祝言の謡を謡い、一年の安泰を祈念するもので、各舞台ごとに様々行われていますが、観世宗家の謡い初めでは、「東北」、「高砂」とならんでこの「老松」が謡われます。これは江戸時代、江戸城で諸大名による将軍への新年の挨拶があった後、四座の大夫がこの三曲を謡ったことに由来するそうです。「老松」は四季を通じて色が変わらない常盤木の松の徳を崇めた演目として、松平家、徳川家にとって、「高砂」と並んで重要な演目とされました。「老松」は脇能のうち、「高砂」や「弓八幡」とは少し違って変わった構造の演目になります。最も変わっている点が後半の松の精が舞うのが真の序という舞いである点です。真ノ序之舞を舞う曲は本曲の他は、「雨月」「白楽天」「放生川」しかありません。「高砂」などの若い男性の姿の神が舞う神舞のスピーディーなリズムとはうってかわって、どっしりしたスケールの大きな舞により超人的な存在を表します。
 脇能は現在の能楽の状況から江戸時代に比べると、上演の機会は減っていると思います。ドラマ性よりも国土安穏や五穀豊穣を祈る儀式的な脇能はお客様にとって単調にうつってしまうからです。また医療の発達などの文明の進化は逃れたいものであるはずの死を遠ざけ、私達は衣食住や生死の問題について、普段の生活においては幸せなことに無意識、無自覚になりました。しかし、東日本大震災などが象徴するように、本質的には同じ毎日が続く訳ではありません。息災で幸せな毎日が続く事を願う脇能の重要性は、死を忘れかけた現代人にとって、より高まっていると言えるのではないかと思います。

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