「心より心に伝ふる花」を目指して
「熊野」の舞台展開
ここでは「熊野」を6つの場面に分け紹介します。
写真 平成10年 能尚会 シテ武田尚浩
撮影 前島吉裕
1、平宗盛一行(ワキ・ワキツレ)の登場
お囃子方・地謡が着座すると、平宗盛が名乗り笛によって登場し、遠江国の池田の宿の長者の娘の熊野が母の容体が悪いとの事で暇乞いに来たが、せめてこの春の花見を共に見たいと思って都に留め置いていると語る。
2、 朝顔(ツレ)の登場
次第という登場音楽によって池田の宿の使いの朝顔が文を持って登場し、熊野に故郷に帰るように伝えるために都に上ることを語る。
3、熊野(シテ)の登場
都に着いた朝顔は熊野の屋敷を尋ねて熊野に母よりの文を渡す。これを読んだ熊野はいよいよ母の容体が悪くなっていると知り、急ぎ暇乞いの為に宗盛の屋敷へと向かう。
4、宗盛邸にて
熊野は故郷の文を宗盛に見せようとするが、宗盛はその場にて読み上げろと命ずる。熊野は文を読み始める。
古代中国の武帝と李夫人や玄宗皇帝と楊貴妃も死によって隔てられ、釈迦でさえも死を逃れることはできなかった。まして自分のような朽木桜のような年寄りはいつ枯れるともわからず、今年の春もわからない。親子はこの世の縁しかないと言うのに、今一目会いたい。
という内容だった。これを読み終えた熊野は花は春であれば咲くので、今年に限りはしないと暇乞いをするが宗盛はこれを聞き入れず、花見へと出かけることになる。
5、花見へ向かう車
幕より花見車の作り物が出され、一行は牛車に乗って花見へと向かう道中の有様が謡われる。四条五条の橋を渡り、やがて賀茂河原から大和大路に入り、六波羅蜜寺を過ぎ、六道の辻を超え、清水寺の車止めについた。ここで熊野は仏前で母の無事を祈る。
6、酒宴
花の下で酒宴が始まり、熊野は清水寺の鐘の音、観世音菩薩の霊験を謡い、舞う。すると俄かに村雨が降り、花を散らす。これを見た熊野は一句したためる。
いかにせん 都の春も 惜しけれど 馴れし東の 花や散るらん
と和歌を詠じた短冊を宗盛に見せる。これを読んだ宗盛はもっともであり、気の毒なことをしたと、熊野に暇を与える。熊野はその場で故郷へ帰る準備をし、東国へと下って行った。
●ひとこと解説
熊野は能の中で春の曲と言えば熊野、秋の曲と言えば松風と言われる程の名曲です。熊野について金春禅竹は「歌舞髄脳記」にて熊野は春の曙の如しと評されています。
シテが母の手紙を読む「文之段」はシテの謡の大きな聴かせ所の一つです。
●小書き解説
熊野には四つの小書(特殊演出)があります。
写真は平成19年 能尚会 シテ武田尚浩の時のものです。
・読次之伝
文之段にて文を宗盛(ワキ)が読み始め、途中から熊野(シテ)が読み継ぐ小書。
・村雨留
中之舞の途中で村雨が降ってきた態にて舞を途中でやめ、「なうなう俄かに村雨のして花の散り候は如何に」と謡う小書。
・墨次之伝
宗盛に渡す短冊をしたためる時に一句の途中で筆に見立てた扇を墨に付ける所作をする小書。
・膝行留
したためた短冊を宗盛に手渡すときに膝行して宗盛のところまで行く小書。