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「船橋」の舞台展開

​ここでは「船橋」を6つの場面に分け紹介します。

写真 平成26年 国立定例公演 シテ武田尚浩

​撮影 前島吉裕

1、山伏一行(ワキ・ワキツレ)の登場
 
熊野の山伏が松島・平泉を目指し、廻国行脚の旅の途中、上野国佐野の辺りを訪れ、この所で宿を借りることにします。

2、里男(シテ)・里人(ツレ)の登場
 里女・里男の順に登場し、憂き世ながら後の世のために橋の勧進をする由を謡います。

3、里人、山伏に船橋の勧進を勧める

 里人は丁度居合わせた山伏に橋の勧進を勧めます。山伏が俗人ながら勧進をする事を感心すると、男は山伏こそ橋を架けるべきだと、葛城山の故事を引いて、山伏に勧めます。

4、里人、万葉集について語る

 山伏が「東路の 佐野の船橋 とりはなし」という万葉集の歌について尋ねると、里人はその歌物語を語り、その主人公こそ自分たちの事であると名乗り、消えてゆきます。

5、アイ狂言

 山伏(ワキ)は夫婦を不審に思い、里人(間狂言)にもう一度、佐野の船橋の伝承を尋ね、里人は船橋にまつわる悲恋を語ります。里人の勧めに応じ、山伏は橋のたもとで夫婦の跡を弔ってあげることにします。

6、山伏の祈祷・後シテの登場

 山伏が加持祈祷をしていると、夫婦の幽霊が登場し、地獄の責めに苦しむさまを山伏に見せます。しかし、山伏の法力によって成仏出来たことを喜び、消えてゆきます。

​●ひとこと解説

 能『船橋』は今では上演が希な演目ですが、『井筒』などと同様に世阿弥作がはっきりしている演目の一つです。『申楽談儀』の中で「佐野の船橋は、根本田楽の能なり。然るを書き直さる」と言及し、世阿弥作として題名を挙げています。この記述から『船橋』はもともと田楽という田畑などの農耕儀礼で演じられる藝能の演目だったものを、世阿弥が全面改訂し、能楽(申楽)の演目になったものと言われています。
 では世阿弥にとって『船橋』はどんな曲だったのでしょうか。『船橋』は後半、男が因果応報によって地獄の鬼となり姿を現します。世阿弥は『風姿花伝』の中で「鬼 是、ことさら大和の物也。一大事也。」と書き、鬼の登場する演目を大和猿楽の重要な藝と考えていたようです。さらに世阿弥は『二曲三体人形図』で鬼の能を〈砕動風〉と〈力動風〉と二種類に分けています。砕動風とは【形鬼心人】の鬼の演目で、この藝を〈働きの根本〉であるとし、老若・童形、狂女なども時によって砕動風の心を持って舞うように注が施されています。一方、〈力動風〉とは【形鬼心鬼】の鬼の演目を言い、その演目は品がなく、面白いよそおいが少ないと評されています。『船橋』は〈砕動風〉の演目にあたります。おそらく世阿弥はただの鬼ではなく、人であった者が生前の罪によって鬼となって成仏できず、苦しむ様を見せるところに鬼の面白さを見出し、『船橋』を作曲したのでしょう。加えて『風姿花伝』の中には次のような記述があります。
 「鬼の物まね、大いなる大事あり。〈中略〉恐ろしき所、本意なり。恐ろしき心と面白きとは黒白の違ひなり。されば、鬼の面白き所あらん為手(シテ)は、極めたる上手と申すべきか。〈中略〉たゞ鬼の面白からむたしなみ、巌に花の咲かんがごとし」(括弧内著者補注)
 鬼の演目だからといってただ恐ろしさのみを追求するのではなく、鬼の中でも〈形鬼心人〉である〈砕動風〉の鬼というジャンルを作り、鬼の恐ろしさと面白さの両立を世阿弥は目指しました。そしてその一つの結論が能『船橋』なのです。

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