「鍾馗」の舞台展開

​ここでは「鍾馗」を5つの場面に分け紹介します。

武田尚浩家では勤めていないので写真なしで紹介します。

1、終南山に住む者(ワキ)の登場
 唐の終南山に住む者が現れ、皇帝に奏上するために都へ上る旨を語る

2、怪しい男(前シテ)の登場
 そこへ怪しい男が声をかけ、自分は鍾馗という者の幽霊で、昔科挙の試験に落ちたことを恥じて自殺した。しかし、当時の皇帝の温情で及第(合格)扱いにしてもらったことにより、その執心を翻してこの世を守る守護神になったと告げ、今の皇帝も仁政をするならば宮殿に現れ、守護すると奏上してくれと頼む。

 

3、この世の儚さを語る。
人の一生は風の前の雲のように儚く、雷のように忽ちに消えてしまうものであり、そのなかで仏の救いを求める事が出来るのだろうかと語る。
そして、鍾馗の幽霊はあなたの夢に真の姿で現れましょうといって、走り去り、やまびこのみが響いていた。

 

4、里人(アイ)の登場
終南山周辺の者が登場し、鍾馗の事を語る。

 

5、鍾馗(後シテ)の登場
その夜の夢に鍾馗が宝剣を持って現れ、宮殿のそこかしこにいる悪鬼を宝剣で退治し、国土を平和にして消える。

●ひとこと解説

 鍾馗は唐の六代目の玄宗皇帝の夢枕に現れた人物です。当時玄宗皇帝は瘧(マラリア)を患っていたとされ、病にうなされていた夜に、宮中を駆け巡り悪さをしている小鬼を見ます。するとどこからともなく大男が現れ、剣を振りかざし、小鬼を退治しました。驚いた玄宗が大男に名を訊ねると、「私は終南山に住んでいた鍾馗という進士で、科挙の試験に落第した事を恥じて、自殺しました。しかし唐の高祖、李淵皇帝が自分を及第(合格)の扱いにしてくれ、官人の服である緑袍を与えて手厚く葬ってくれた為にこの国を守る守護神となりました。」と答えました。やがて夢から目覚めた玄宗皇帝は病が治っており、これは夢に現れた鍾馗のお蔭であると感謝し、夢の中の鍾馗の姿を絵に描かせ、守護神として祀ったと言われています。以来、魔除けや勉学に効果のある道教の神様として鍾馗は祀られるようになり、日本には平安時代ごろに伝わったと言われています。京都では今でも病の退散の為に町家の軒先に瓦製の鍾馗の像が祀られています。一説によれば鍾馗が科挙の試験に落第したのは学力的な問題ではなく、大男でその相貌が大変恐ろしかったために堕とされたともいわれています。

 また、能「鍾馗」には以下のような話が残されいます。江戸時代に水戸光圀の失脚を狙って柳沢吉保と共謀していた水戸藩家老の藤井徳昭(紋太夫)が光圀に切られたのもこの能を演ずる時だったと言われています。小石川水戸藩邸で鍾馗の半能を演じる予定だった光圀が幕の横の鏡の間に徳昭を呼び出し、鍾馗がいかに忠君の士であったかを語り、持っていた剣で徳昭の首をはねて、そのまま鍾馗の謡を謡いながら幕から舞台に出たと言われています。
類曲に「皇帝」があります。この「皇帝」では病にかかったのは玄宗皇帝ではなく、楊貴妃という設定に代わり、鍾馗が悪鬼を退治する部分が語られます。

●仕舞部分の詞章
シテ「鍾馗及第の。鍾馗及第の砌(ミギン)にて。われと亡ぜし悪心を。翻す一念発起菩提心なるべし。
地謡「げに誠ある誓いとて。国土を鎮めわきてげに。
シテ「禁裏雲居の楼閣の
地謡「ここやかしこに遍満し
シテ「あるいは玉殿
地謡「廊下の下。御階(みはし)のもとまでも。御階のもとまでも。剣を潜めて忍び忍びに。もとむれば案の如く。鬼神は通力失せ。現れ出れば忽ちに。ずだずだに切り放して。目のあたりなる。その勢いただこの剣の威光となって。天に輝き地に遍く。おさまる国土となる事 治まる国土となる事も。げにありがたき。誓いかな げにありがたき誓いかな。

現代語訳
シテ「科挙を及第扱いにしてくださった栄誉によって、自殺した時の悪心を改め、その思いを菩提を求める心へと変えたのだ。
地謡「本当にその通りで、鍾馗の力は国土を鎮めて
シテ「特に皇居の
地謡「あちこちを廻って
シテ「あるいは皇帝の御殿
地謡「廊下の下や、御階の下までも剣を隠し、忍び探しまわり、近付くと案の定鬼神の通力は消えて、姿を見せるので、ずだずだに切り裂き、この剣の威光は国土に響き渡り、平和な国となった。何とありがたい鍾馗のちかいであろうか。

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