「東北」の舞台展開

​ここでは「東北」を6つの場面に分け紹介します。

写真 平成31年 朋之会 シテ武田尚浩

​撮影 前島吉裕

1、旅の僧一行(ワキ・ワキツレ)の登場

 囃子方、地謡方が着座すると次第という登場音楽によって東国からの旅の僧一行が登場し、都に向かう旨を語る。都に着いた一行は東北院にて、今を盛りと咲く梅を見つける。そこへ現れた所の人(狂言)にこの梅の名を訊ねると「和泉式部」と教えられ、一行はしばらく梅を眺めることにする。

2、里女(前シテ)の登場

 そこに一人の女性が現れ、僧にその梅の名は「和泉式部」ではないと教え、この梅の物語を語る。昔この寺が藤原道長の娘の上東門院の邸宅だった頃、和泉式部が植え「軒端の梅」と名付けて、愛でた梅であり、彼女の弔いを僧に願う。

そして、今でも和泉式部の寝所(方丈)が残っていると教え、夕暮れと共に自分はこの梅の主であると言い残して消える。

3、所の者(間狂言)の語

 再び先ほどの所の者が現れて、僧の勧めによって和泉式部と軒端の梅の事を語る。

 

4、和泉式部の幽霊(後シテ)の登場

 所の者の話を聞いた僧は、先ほどの女性は和泉式部の幽霊であったと確信し、夜もすがら読経を始める。

 その読経に惹かれて和泉式部の幽霊が現れ、上東門院の邸宅であった頃、道長がこの門の前を通った時に詠んだ和歌、「門の外 法の車の 声聞けば 我も火宅を 出でにけるかな」を口ずさみ、この和歌の徳によって歌舞の菩薩となったことを語る。

5、東北院の景色を謡い、舞を舞う。

 この東北院は都の鬼門にあり、山から流れる水は加茂川から流れて白河へと注いでいる。風が心地よく吹き、安楽の地へ至る縁になっている。庭の様子は漢詩に詠まれた如くで都の人々が行き交っている。この寺は四季折々に様々な姿を見せ、秋に空へ噴き上げる風は上求菩提を表し、池に移る月の影が下化衆生を表す。そう言って序之舞を舞い始める。

6、和泉式部の幽霊は消える

 舞を舞った和泉式部は「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」と梅の花の匂いのように自分の恋の匂いが思い起こされて、懐かしく、恥ずかしいと僧に暇を告げ、あの方丈は極楽の台であると言って消え、僧の夢は醒める。

​●ひとこと解説

 能「東北」は江戸時代、江戸城での将軍臨席の謡初にて、「老松」「高砂」と並んで謡われました。「年立ち返る」という冒頭の一句目に強調されるように、作品の季節が正月であり、この作品のテーマである梅が初花とも呼ばれて春一番に咲く故に新年にふさわしい曲と考えられ、正月の公演で度々上演される曲です。

内容は三番目らしく演劇性よりも幽玄と歌舞に重点が置かれ、若い役者も度々挑戦しますが、とらえどころが無いという点でなかなか難曲と思います。

 作者は世阿弥作と推定され、世阿弥より金春禅竹に相伝された目録に本曲の古名である「軒端の梅」の名前が見えます。

この曲のシテである和泉式部は10世紀終わりの頃の平安時代の、いわゆる中流階級の貴族の娘ですが、勅撰和歌集に248首入集するなど類い稀な歌才を発揮し、藤原道長(御堂の関白)の娘・中宮彰子(上東門院)に仕えました。素晴らしい歌人である一方で、彼女は恋多き女性として二度結婚し、その間に冷泉天皇の皇子二人とも恋仲になるなど、藤原道長から「浮かれ女」とからかわれ、同じく中宮に仕えた紫式部からは「恋文や歌は素晴らしいが、素行は感心しない」と批判されたりもしました。そのような彼女の生き様は、死後、特に中世になると、小野小町と並んで様々な説話が生まれ、巷に流布しました。

 「東北」の中では東北院には和泉式部が住んでいたとされ、和泉式部という梅があり、道長が法華経を読みながら門前を通った際に「門の外法の車の音聞けば我も火宅をいでにけるかな」と彼女が詠んだと紹介されています。しかし、どの話も能よりも古い出典が見当たりません。能「東北」も史実ではなく、巷に流布していた逸話に基づいて作られたものと推定されます。古名の軒端の梅という表現も能を遡っては登場せず、世阿弥の造語だろうかと推測されていますが、梅は軒先に植えて花だけではなく、その香りを楽しむ植物と考えられていました。

 香りは目には見えないですが、人間の想像力を掻き立てる敏感な五感です。梅の香りを想像しながら、初春の雰囲気を楽しんで頂ければと思います。

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