「殺生石」の舞台展開

​ここでは「殺生石」を6つの場面に分け紹介します。

​写真 平成27年 朋之会 シテ武田崇史

​撮影前島吉裕

、玄翁(ワキ)の登場
 修行者の玄翁は従者(アイ)を引き連れて登場し、奥州より修行の為、都に上る途中で那須に立ち寄った旨を語る。

 

2、里女(シテ)の登場
 ある石の近くで鳥がバタバタと地面に落ちるので、ワキは不思議に思いその石に近づこうとするとシテが現れ、止める。そしてシテはその石が殺生石と呼ばれる石であることを伝える。

 

3、殺生石の謂れを語る
 ワキが殺生石の謂れを尋ねるとシテは、これは昔玉藻の前という鳥羽院の后が変化した姿であると語り、玉藻の前の逸話を語る。
 玉藻の前は鳥羽院の上童(小間使いの女性)だったが、才色兼備な女性であったので、院の寵愛を賜るようになる。ある晩管弦の宴をしていると突風が吹き、御殿の燈火が消えると玉藻の前が怪しい光を発した。以来院は病に臥せるようになり、陰陽師の安倍泰成が原因を占うと玉藻の前が化生であることがわかったので、調伏の祈祷を始め、玉藻の前は那須に逃げ、石となった事を語る。あまりに詳しく話をするので、ワキが不思議に思うとシテは自分こそ、この殺生石の石魂であると明かして石の中に消える。(中入)

4、玄翁の従者(アイ)の語り
 玄翁に勧められるがまま、玄翁の従者は玉藻の前の伝説を語る。

 

5、石から野干(後シテ)の登場
 ワキが石に向かって拂子を振って祈祷していると石が割れ、シテが登場する。

6、野干の仕方話
 シテは天竺・唐で国を滅ぼし、この日本も滅ぼそうとしたが、安倍泰成によって調伏され、この那須野に逃げたが三浦介、上総介によって退治されたことを仕方話で語り、ワキの弔いによって成仏でき、今後は殺生をしないと約束して石となる。

●ひとこと解説

 殺生石は栃木県那須市にある巨石で近くには高濃度の硫黄が噴出されており、近寄った動物を死に至らしめます。今でも観光名所になっていますが、柵が張ってあり近寄ることはできず、事故がないようにレンジャーの方が警備に巡回しています。
 玉藻の前は実在の人物ではありませんが、そのモデルとなったのは藤原得子(なりこ)と言われています。彼女は鳥羽上皇の寵愛を賜り、鳥羽上皇はもう一人の女御璋子の息子の崇徳天皇を退位させ、得子の子供(近衛天皇)を即位させます。この事によって璋子と得子の関係が悪化し、この女御同士の争いが鳥羽上皇と崇徳上皇との親子関係の悪化を招きます。この争いが鳥羽上皇の立場を引き継いだ後白河天皇と崇徳上皇との争いとなり、摂関家の内部紛争とも結びついて保元・平治の乱が起こります。この保元・平治の乱によって平清盛が台頭し、朝廷を中心とする貴族政権に代わり武家政権が誕生します。長く続いた貴族政権を終わらせたという意味ではこの得子は玉藻の前の様に「王法を傾けた」人物と言えるのではないでしょうか。

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