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能楽とは?

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能の見方

能楽という言葉は明治時代になって使われるようになった言葉です。

それまでは「申楽(猿楽・さるがく)」と呼ばれていました。

平安時代に中国・朝鮮半島を通って「散楽」という、奇術や大道芸のような事をしていた芸能が日本に入ってきました。

 「散楽」は日本に入って「申楽」と呼ばれるようになり、独自の発展をしていきます。雑技芸だけでなく、劇の原型のようなものもするようになりました。

 その「申楽」の中で次第に、笑いのあるセリフ劇を「狂言」、歌舞を中心とするシリアスな劇を「能」として分業化されていきました。分業化されても兄弟の芸能として能と狂言は交互に上演されました。また、能の中にも狂言の役者が受け持つパートもあります。

室町時代、その「申楽」を演じる一座に観阿弥・世阿弥という親子が登場します。

二人はそれまでの芸を集大成し、当時民間に流行っていた歌曲や美しい舞を取りいれました。

その舞台は京都中の評判となって、時の室町三代将軍・足利義満に認められ、王朝文化とも混ざり合って、現在の「能」の基礎ができました。

室町幕府が滅びたあと、織田信長・豊臣秀吉などの戦国大名も「能」を愛好し、時には大名自身も舞って、家臣に見せたりしていました。

徳川幕府もこれを引き継いで、「能」を武士の公式な芸能「式楽」と定め、「能」は武士の重要な教養となりました。

また、五代将軍・徳川綱吉は無類の「能狂い」として当時有名になりました。

その後、明治維新・二度の世界大戦を経て、大きな打撃をうけたものの、先人方の命をかけた苦労によって、一度も絶えることなく芸は伝承され、現在に至っています。

2008年には、「能楽」(能と狂言)がユネスコの「世界無形遺産」の第一号として登録され、世界からもその価値が注目されています。

 お能って難しいのでは?と思われがちですが、お能をご覧になる上で、私なりのポイントを一つだけご紹介したいと思います。お能は無駄を出来るだけ省いて残った本質だけをあらわそうとする藝術と言えます。たとえば、ほかの演劇と違って、照明も変化しませんし、舞台装置も変化しません。奈落とかもありません。舞台上には多くの〈余白〉があります。その余白をお客様と私たち演者と一緒に埋め合って一つの舞台作り上げて頂きたいのです。

 丁度、本を読むような感覚に似ているではないかと思います。今のエンターテイメントは誰でもすぐ見て一瞬で分かるものがもてはやされ、お客様は受信さえすれば済んでしまいます。周りの空気を読む力・想像する力の不足は現代社会の問題になっています。そのようや意味からすれば能楽はその流れに逆行する藝能です。笑

 想像しながら楽しんでみていただければ、とってもお能の世界って面白いのではないかなと思っています。想像力で余白を埋め合うという事は、言い換えると、お能は演者とお客様それぞれと会話して出来ていく世界ということです。二つと同じ世界は生まれません。無限に広がるお能の世界に今日はどっぷり浸かってみてください。そして、終演後はぜひ、その感想を共有してみてください。ああーそう感じたんだ、そう思ったんだ!って自分が考えもしなかった観点が結構あります。

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